当り前に向き合い、当り前を捉え直す。
私たちの仕事はこの言葉に尽きる。
絵画とは何か?音楽とは?
このことを探求するにあたって、「絵画/音楽は斯くあるべき」という呪縛を振り解き、不要に思える些末なノイズを拾い上げてみる。それらが、〈色と形〉或いは〈音程と拍子〉の二項で成立しているかのような認識から、余剰な情報を与えることで逸脱してみる。「作品」なるもの──それはあたかも代替不可能な新しい定義めかした顔をしている──を求める病は、その実、原初からあった当り前を、毎度捉え直しているに過ぎないのではないか。
網膜に到達する刹那の「視える」、鼓膜に到達する刹那の「聴こえる」とか言うような、率直な、現象そのものを知らせるような仕方で「光」が「音」がここに在るように。
それは自然物への回帰に近いだろうか。「光/音」が、私たちが認識するための波となって身体を訪れる。身体に染み込み溶け合うような体験を、「古い」とか「新しい」とは異なる視座を提示したい。
三木 祐子 + 金崎 亮太
岡本 啓
〈airglow=大気光〉惑星の大気が起こす弱い発光。この現象があるため、星明かりや太陽光の散乱が無かったとしても夜空は完全な暗黒にはならない。
-------------------------------------------------------------
紙箱に入れたネガフィルムを暗室の床に放っておいた。どうなるかと思っただけで、とくになにか期待したのでもなかった。そしてそのまま忘れた。
カラー現像だと全暗室で仕事をするのだけど、しばらくいると目が慣れて薄ら視えてくる。ということは、ここは完全な暗室ではないのだ。
ふだん鮮やかな光線を使うので影響を感じることはあまりない。しかし敏感な写真材が漏れ入った光に作用していない訳がない。
数か月暗室に入らなかった後で、放ったままだったフィルム箱を思い出し、拾い上げて試しに現像してみた。現れたのは、仄暗く感光し汚れたような画面だった。予想通りで少しガッカリしたのだが、もうしばらく、意味のないこの作業を続けることにした。その薄暗いフィルムを反転させてプリントし、今度は薄白い像にした。その行為を、いくつかのフィルムを重ね合わせながら何度も何度も続けた。ふと、既視感を覚えた。
学生の頃。人の話し声の耳に留まったものをクロッキー帳に書き留めておく、という、趣味のような、自分に課した決まりのような作業をしていた時期がある。おそらくそれは、最も消極的な方法での、周囲と自分との関連付けだった。
同じ時期に、初めて行う油画の自由課題があった。なんといっても「自由」には困った。それでも、他の友人たちがスムーズに取り掛かっていくなかで、なんとなく絵を描かねば、と30号のキャンバスを組み立てた。何をどう描いたらいいか分からず、困った挙げ句、クロッキー帳に書かれた言葉の文字をキャンバスに、鉛筆でレタリングしてみた。レタリングは、意味を考えず出来る作業として性に適って、カリカリとそれを繰り返した。少し「絵のように」なった気がして、それを基に絵の具を使った。例えば自画像を描くときに己の姿形を捉えていくのと逆の仕方というか、周りにあるヒトの気配みたいなものを描くことで、自分の居る形が空白として顕れるのではないかと。言葉の意味や、誰かのプライベートを分かるまま残してはいけない気もあり、小さい筆で文字と文字の境目を同化させようと四苦八苦していたら、なんだか粉っぽいような白ずんだ画面になってしまった。
終わり方が分からないまま期限まで向き合ったため、作ったもののなかで一番見続けたと思う。その絵は、先生にちょっと誉められた。
この、いま手元にあるフィルムは、のつのつと描いたあの油絵に似ている。
時間の隔たりをそんなに感じていないが、それでも断絶がある。結局その自由制作の後、「絵を描く」行為に継続性を獲得し得ないまま、たまたま触った現像液と印画紙に「絵を描く」ことを仮託している。展覧会のたびに技法の説明に終始してしまうから、あの時と同じまま「自由制作」の目的は言語化されていない。
フィルムに写された、この不完全な暗室での行為の残滓が、あの不完全な油絵で捉えようとした(かもしれない)ものと重なる。写真は、撮影された瞬間から直ちに過去になる。しかし。反射なく発光する大気の粒子のような微かな光の定着が、在った時間を、経過でなく、蓄積させて「絵にして」いる。
岡本 啓と中島 麦、ともに「絵画という物質」を扱う美術作家の協働で、あえて「質量」を排した表現を提示。昨今の複雑な情勢下で、「鑑賞する体験」をいかに作るか。 2人の美術作家が手掛ける色彩と光のインスタレーション、そして、「AR」による新しい鑑賞体験。夜の有馬温泉を巡る、小さな旅。
minima = minimumの複数形(研究社新英和中辞典より)
僕は英語が話せない。言語学に精通してもいない。ただ、辞書をめくるのはすきである。
あくまで素人として辞書をめくる。
minimumって最小とか極小とか割り切れなさそうな意味なのに複数形があるのか、と思うのはだから、言語学や文法といったものとは無関係な、屁理屈の物言いである。
しかし考えてみるに、最小限なものはそれ以上割り切れないのだから、絶対無二の存在なわけで、それが複数あるということは〈それぞれがまったく別個の、極小な存在たちが多数ある〉ことになって、そんな世界はとても豊かだな、そもそもいくつかの単純なものの組み合わせと組み換えによってこの世界は成っている(らしい)のだから、文法論理としては破綻していても、いい線いってるんじゃないか。
photographic memory (写真のようにはっきりとした記憶)、それは記録か記憶か。記憶の記憶か、記録の記憶か。
殆どのひとは思いでアルバムを持っている。
大抵どこにあるか分からなくなっているものだが、片付けや引越しでふいに出てきたときに手を止めて見入ってしまう。凡そ時系列に並んだ写真を見ながら、この時はああだったあの時はこうだったと、幾分美化された形で思い出したりする。
これは「平面作品」がイメージへと誘う(想像力が起動する)最も身近な顕れだ。色や光は、記憶に直接作用する。個々の記憶に働きかけるきっかけとして機能することが、写真の在り方かなと思うのだ。
机上の空論 / armchair theory
お化けは「存在」しないからお化けである。では見たことがないかというとそんなことはない。それどころか簡単に目にすることができる。
例えば、写真。
紙でも布でもブラウン管でも液晶画面でも、撮影された静止画として写ったものはすべて写真と呼ばれる。絵画におけるキャンバスのように確固たる素材を持たない。イメージこそが写真、と言える。
この、体のないお化けのようなメディアは、比重をどこに置くかで表れ方が変わってくる。
手に触れられるものが現実だと思っていたけれど、最近はどうやらそうでもないらしい。
スタンリー・キューブリックの映画「Dr. Strangelove : or How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb」(1964年公開)のラストシーン、繰り返し映される水爆実験の映像。
僕は美しいと思った。そしてそう思ったことにぞっとした。
美しさは倫理に先んじてあって、だから実は恐ろしい。幽霊が、美しい女の姿で顕れるように。
お化けも動物も戦争も月面も、頭の中の信号にしてしまえば全部いっしょくたである。
子供の時に読んだ本に、未来の人間の姿として、頭と目のでっかい生き物が描かれていた。ある部分ではすでにああなっているんじゃないか。
一度、頭の中の世界を外側に出してみる必要がある。空論が机上で形を成すために。
僕らは当たり前のように記録や記憶の道具として写真を使うけれど、記憶は変質していくし記録は改ざんされる。カメラは幽霊や宇宙人まで簡単に撮ってしまう。
本物かどうかは大した問題ではなくて、本物らしく見える、ということ。写真とはいずれそういうものです。
photographic memory(=〈英〉写真のようにはっきりとした記憶)と題して写真を撮ってきました。そう括(くく)ることでしか、撮ることが出来なかったので。ですから正確にいえばこれはシリーズ名ではなく、僕の姿勢のようなものです。
僕の仕事として出来ることは「気配」をかたちにすること。幽霊でも動物でも、戦場にしろ月面にしろ、「在る」とか「在るかも」とか感じることは、少なくともほんとうだと思うから。
かけがえないものは宝箱にしまう、
なにげないものは標本箱にしまう。
標本箱が宝箱に変わることもある。
写真は記憶の標本である、と定義して、カメラを首からぶら下げ歩く、僕の育った町。子供の頃の僕らときたら、このかたちを変化のなかの風景だなんて思いもしなかった。
そこから創(はじめ)るしかないのだ。
なにげないものを集めることはとても難しい、にも拘らずそのことを(文法としても矛盾があるそのことを)しなければならないと思う。(しばしば強くそう思う。)
私達は人生を、ある時点のある地点から創(はじめ)なければならず、流れる世界のなかで唯ひとつ固定された記憶を「原風景」とか「世代」とかいったりする。
大抵ノスタルジイに浸って使われる「原風景」という言葉が、僕はあまり好きではないけれど、なにげないものを集めることはとても難しいにも拘らずそのことをしなければならないと思うとき、やはり「原風景」とか「世代」とかいったりするものがきっかけになるのだ。
大抵ノスタルジイに浸って使われる「原風景」という言葉が、僕はあまり好きではないけれど、言い換えるならば(手持ちの言葉は少なくてうまく言い表し得るか自信はない)、「自然」というのかもしれない。
それならば、
原っぱと田んぼと貯水池と、公団住宅と延長された地下鉄の線路と、その区画の隙間にある雑木林。ちぐはぐな風景、それが僕の育った町。子供の頃の僕らときたら、このかたちを変化のなかの風景だなんて思いもしなかった。これが僕らの自然だった。
写真は記憶の標本である、と定義して、カメラを首からぶら下げ歩く。竹藪だったマンションや田んぼだった駐車場を通り過ぎて。
そこから創(はじめ)るしかないのだ。標本箱が宝箱に変わることもある、しかも高い確率で、それはある。
だから、とりあえず、
かけがえないものは宝箱にしまう、
なにげないものは標本箱にしまう。
沈黙をことばにすること。
そしてそのことばを、限りなく沈黙にちかいものに還すこと。
ほんとうの沈黙や、ほんとうの真空や、ほんとうの暗闇は、概念じゃなく確かに在るんだけれども、僕らはそれに触れられなくて、だから、暫定的に、鉤括弧のなかで「沈黙」とか「永遠」とか呼ぶことで、なんとか掌におさまる標本のようなかたちにして眺めることが出来るのみだ。
(括弧は極めて優れた発明である。括弧の中で行われるのは分別であり、その発明によって本筋からの逸脱すら可能になった。)
そうして「 」を思うことがかろうじて出来得るとして(それは死を思うことに等しい)、僕らは十分にやれているだろうか。
喩えば「 」を、身近なからだに近付けて言うとき、自分の中にあるものとして――手持ちの言葉は少なくて十分に言い表しているとはいえないけれども――「tamasii」と呼ぶしかないのかもしれない。
むしろそれをこそ指して、僕らは「存在」という言葉を使うのではないか。人を指差して、あなた、と呼ぶとき、人差し指はあなたの身体を指している訳ではない。
触ることのかなわないtamasiiをそれでも存在するものとして表すためには、裸にするよりもなお顕わに、Ⅹ線よりも透過する仕方で見なければならない。目を細めて、深く深く、薄く薄く、沈もく沈もく。
――何も見えませんよ。
――あいまいな部分を残して、そうすれば必ず見える。 (ジャン=リュック・ゴダール「決別」より)
タマシー。シンクー。エーエン。
そして僕らに出来ることといえば、
人差し指を口許に立て、シィーをするように、注意深くそれを(それに似たものを)作り出す。